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Kazuo Inoue Gallery

井上 員男 アートギャラリー

PROFILE

井上員男プロフィール
【井上員男 略歴】

<1932年>
香川県に生まれる。
<1951年>
香川県立観音寺第一高等学校卒業。3年生後半から油絵を描く。
<1954年>
香川大学教育学部卒業(美術専攻)。兵庫県立相生産業高校に勤務。
<1957年>
25才、第53回太平洋美術会全国公募展に『相生裏町』30号を出品、東京都知事賞を受賞。その後、会が分裂し、誘われて新塊樹社創立会員になるが、美術団体に疑問をもち、油絵にも挫折感をいだき、多色木版画に活路を見いだそうとした。
<1961年>
香川県立小豆島高等学校に勤務。早速美術部員には油絵を導入。
夏、鳥取県の大山(ダイセン)標高1729mへ3泊4日の写生旅行。12名。
3日間で油絵小品1点か水彩画を描き、夜は国民宿舎で合評会。1日は登山、痩せ尾根を縦走して大山寺へ下山。
数年後縦走禁止。
その後、香川県立高校3校に勤務。
<1968年>
 1967年から美術選択生徒に陶芸をとりいれた。陶器用の土は取り寄せて。
「はじめから何を作ろうかと考えるよりは、作っていく途中で何になるかを考えればよい。
皿か花瓶か、置物かなどと」私はカメラを首からぶらさげ、どうすれば、もっとよくなるかを1人1人の生徒と考えながら、たとえば皿なら、大きいモミジの葉を取ってきて押しつけると文様になるとか・・・。1人1人の途中の状態を漏れなくカメラに納めた。
 乾燥させ、素焼をして後、釉薬(ウワグスリ)を塗って本焼をする。個人ごとにスライドに編集すると14コマになった。
 窯は学校として専門家に依頼。耐火煉瓦で築いて下さった。外形(直径)約90cm、高さ約120cm。燃料は薪(タキギ)。
 1968年11月第21回全国造形教育研究大会(高知県)高等学校部会で「土と火による造形教育」として、生徒作品20点を乗用車で運び、説明を加えながらスライド発表、絶賛された。
 12月号の「美術教育」全国の機関誌に執筆を依頼され、生徒作品10品を図版に入れ、本文10頁を使った。
36才。とある画材店で珍しい版画の原版(正しくは、版画の原版となる用紙)にめぐりあい、早速実験。白い版画用紙に現れた黒い面と細い黒線に陶酔した。この版画を紙凹版(かみおうはん)と呼ぶ。

<1979年>
12月25日、勤続25年退職願いを出し、東京都羽村市に転居。47歳。

<2013年>
2013年1月11日(金)から14日(月)「版画平家物語展」主催・鎌倉美術連盟、後援・鎌倉市教育委員会、鎌倉市文化協会、展示は版画平家物語六曲十二双一隻・全長76mと扇の的の元絵と使い終った原版、技法明示、資料多数、研究ノート3冊、それらは机上に並べる。

【紙凹版とは】(かみおうはん)

 この版画の原版は、厚さ1mmの紙の片面が樹脂の被膜でおおわれている。
カッター・ナイフや独自の刀で線刻したり、被膜をはぎ取るなどして、エッチング・インキを塗り、布で拭いて、エッチング・プレス機で和紙に刷る。
刻線とはぎ取った部分に浸みこんだインキが写る。この方法は1965年 新日本造形株式会社が開発したが、はぎ取った部分は黒く写るだけであった。
紙凹版濃淡表現方法発明。
 私は、はぎ取った部分に、黒から薄いグレーまで、自由に濃淡をつける方法を発明した。はぎ取らない部分は拭き残してぼかしを表現することもできる。そこは平版である。希望者にはすべてを公開している。
原版が紙だから刷り枚数は10-20枚ていど。30枚とれる場合もある。1枚1枚くり返し、良質の越前和紙に刷る。原版は複数枚使うこともある。翌日にはインキが固まるので原版は使えなくなる。
全工程を私1人で成す。インターネットでは和紙に刷ったごくうすいふんわりとしたトーンは出にくい。

独創の我が道を行く。美術団体・公募展に無関心。

<1971年~72年>

四国の吉野川は高知県山奥の瓶ヶ森(標高1897年)から徳島市東側の紀伊水道に流れ行く延長200km、長さは日本で11番目。かつては利根川を坂東太郎、九州の築後川を築紫太郎、吉野川を四国三郎と呼ばれた三大暴れ川のひとつ。平野部ではしばしば水路を変えながら洪水をもたらした。しかし恐怖と損害ばかりではなかった。年中行事のように洪水がもたらす肥沃土(ひよくど)は植物の藍の生育に良く、明治時代以前は藍染めの染料として欠かせないものであった。農作業の衣類として藍染めは毒虫が来ないという。徳島の藍商人と阿波藩は莫大な富を得た。ところが明治になってドイツから安価で色彩豊かな化学染料が入り、藍は行き場を失なった。しかし藍染めの静かで深い色は、徳島はもとより、小規模ではあるが全国各地で受けつがれている。
 私はその吉野川を人間と水とのかかわりに視点を据えて紙凹版画80点を制作。版画の大きさ42×35cm。香川県の自宅から車で走ること40回、7000km。一連の中では必要だが1点の作品としてはまずいのもある。

<1972年>
版画吉野川が40点できた時、NHK高松放送局からテレビの話がきました。私の文章と版画と現地ロケで構成され香川・徳島両県内放送15分間。

<1973年>
牧野出版が『版画吉野川』限定600部刊行。A3判、66頁、図版28ほか。内容は現存の古い風物・水車と石臼・紙漉きの水車・峽谷を見おろす吊(つ)り橋・鮎船・古い水路

・洪水で傾いた五輪の墓石・阿波浄瑠璃人形の頭(かしら)など。

次の各新聞の全国版の週1回の読書欄に、作品(原画寸法は42×35cm)写真入りで掲載されました。新聞はたて書き。当時の字は読みにくいほどに小さかった。
 
  <4月16日>
   毎日新聞―作品は「吉野川橋」2段分使用。「版画 吉野川」井上員男著。
  <4月22日> 
   日本経済新聞―作品は「鮎船」3段分使用。「日本の河川の風物誌」井上員男著「版画 吉野川」として本文は2段使用。
  <5月18日>
   読売新聞―作品は「和傘」3段分使用。「故郷がにじむ版画集」として本文中に「版画 吉野川」井上員男著。牧野出版社・所在地記入、五.〇〇〇円。長い1段使用。


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<1974年>
四国の漁港を太平洋側を「明」、瀬戸内側を「暗」の視点で版画26点に。その頃、瀬戸内海の汚染が問題になっていた。

<1975年>
洲之内徹(すのうちとおる)氏の銀座現代画廊で『四国の漁港』の個展を開催して下さった。その中の1点『川之江』(四国の漁港より)が洲之内氏のコレクションに入った。1987年、洲之内氏が亡くなられ、翌年、氏のコレクションは『気まぐれ美術館』として宮城県美術館の収蔵となった。作品数146点(油彩、日本画、素描、水彩、版画、彫刻)作家90人。
洲之内徹氏の銀座「現代画廊」にて個展<四国の漁港>

<1976年>
四級小型船舶操縦士の免許をとり、モーターボート(艇長6m船内外機)中古を買い、瀬戸内海を縦横に走って瀬戸内にまだ残る「明」を版画28点に。
現代画廊で瀬戸内シリーズ展。
洲之内徹氏の銀座「現代画廊」にて<紙版画展>
紙凹版(かみおうはん)濃淡表現印刷方法発明。

<1977年>
版画吉野川取材のはじめ頃、河口に近い徳島県立阿波十郎兵衛屋敷館で、はじめて阿波浄瑠璃人形を見、強烈なドラマ性に感嘆。いずれは取り組みたいと思っていた。再び徳島通いがはじまる。[1]十郎兵衛屋敷館、[2]徳島県郷土文化会館、個人所蔵のものを描かせてもらう。人形の頭(かしら)は洗練された上方(かみがた)のそれとは違い、大きくてダイナミックなので私の版画に適している。全身像は110×50cm、頭は53×40cmていどの画用紙に刻明に鉛筆写生。東京に転居後も版画に。全身像は16体、頭20。1・2年後に見ると不出来なのもある。[1]『頃城阿波の鳴門』は四曲屏風に、[2]『絵本太功記』は六曲屏風に、そして[F]さん所有の『一の谷嫩(ふたば)軍記』の熊谷次郎直実・相模・藤の局・弥陀六の4体はそれぞれ額装。Nさん所有の光秀・夕霧の頭は額装。それぞれの所有者にお礼に進呈した。

<1978年>
写真集で、新潟県は人が住んでいる所としては世界最大の積雪地帯だと知り、1月に行く。1年の半分は雪のある生活は想像を絶するが自分の版画で取り組みたいと思う。スケッチブック見開きだから横長い。雪国シリーズのはじまり。

<1979年12月>
香川県立高等学校美術教諭勤続25年を辞し、東京都羽村市に転居。(その後転居)

<1980年1月~>
千葉・茨城両県の水郷地帯へ行く。水の少ない香川県とはちがい、手をおろせば水にとどく川は嬉しい。水郷通い始まる。
夏、近所の人に誘われて八ヶ岳高原の別荘に行き、高山のきびしい条件下に咲く可憐な花に感動した。

<1981年>
『初心者の登山心得』本を読み、次々に登りたい山ごとの『山と高原地図』と国土地理院発行の50,000分の1の地図『利尻島』『礼文島』『屋久島』を買う。
早速新潟県津南町の雪解けに咲く花を描きに、次いで鳥海山麓・大菩薩峠・八ヶ岳高原・尾瀬・至仏山・礼文島・礼文岳・利尻岳・大雪(人が多くいる所)・アポイ岳・宝剣岳などに登って花を・・・・。高山植物の花は小さいので画面寸法は10×10cmが最も多く、次いで10×20、18×20などとした。2Hの鉛筆で刻明に描く。147種類。

<1982年>
銀座現代画廊で水郷と山の花の個展。
『版画文集・井上員男の山の花』木耳社(もくじしゃ)発行。B5判・145ページ・掲載花は135種類。
日本図書館協会選定図書となる。
次の山へ花を描きに―日光鬼怒沼湿原・白光白根山・赤薙山・雲取山・富士山・対馬(つしま)の白嶽。北岳→間岳→西濃鳥岳→大門沢へ。屋久島の宮之浦岳・苗場山ほか。
中国人民美術出版社の招待により、北京中央美術学院テレビ室において紙凹版原理指導。
鈴木牧之(すずきぼくし)の名著『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)天保7年と13年発行の初版本を入手。牧之は現在の南魚沼市塩沢の人。1年の半分以上は雪の中。生活に励む人の遭難の記述も多く、牧之が描いた墨絵と共に胸が痛む。また雪国ならではの年中行事も今に続いているものが多い。雪の上に塩沢紬(つむぎ)を晒(さら)す図は、女性は単衣らしい着物を着ているが、男性は薄着1枚、膝から下は着ていない。肩肌ぬいで素足の人もいる。科学的な観察と思考にもとづいており、江戸時代の雪国の生活を知るうえで貴重な文学なのでいずれしっかりと読むことにする。

冬:5年前から温めていた版画平家物語の構想が具体化し『平家物語』注釈本を精読しはじめる。

洲之内徹氏の銀座「現代画廊」にて個展<水郷><山の花>

<1983年>
栃木県足利市内の美術サロン「もみの木」で山の花の個展の時、画廊にいた画廊の客2人が私を見るなり、「吉野川のテレビ見ました」と。「全国放映になったのですね」と私。
山の花を描きに:上高地→槍ヶ岳→中岳→南岳→北穂高岳→穂高岳→前穂高岳→上高地へ。
八方尾根→唐松岳→天狗の頭→白馬鑓岳→小蓮華岳→乗鞍岳→栂池平へ。82年と83年に描いた花148種類。

冬:『平家物語』の資料を集めはじめる。

<1984年>
新潟県へ雪を描きに行く。
『版画文集・続・井上員男の山の花』木耳社発行。B5判・157ページ・掲載花は128種類。
『版画文集・井上員男の山の花』第2刷発行。
出合った花は全部描いた。2度目のは描かない。文章の中では意味があるが、版画としてはまずいのがだいぶある。絵になりにくい花もあって・・・・。

上記『山の花』の本のうち利尻岳と宮之浦岳の部分を省略しながら次に記します。

<1981年のこと>
国土地理院発行の50,000分の1の地図によると、北海道の利尻山は直径約12kmの円形の利尻島の中心にそびえ、標高1718m。北の海岸鴛泊から登り、小さな花たちを描きながら霧の中の無人小屋(2人いた)に入る。シュラフに眠り、風にゆれる花また花を描きながら暴風雨の頂上に着く。ずいぶん時間がたったものだ。薄暗くなる。手持ちの方位磁石を見ると南進した進路は西に向く。岩に書かれた赤丸の中に危の赤字が見える痩(やせ)尾根をいくつか越えると、下山は水が流れている川だった。懐中電灯のあかりをたよりにひたすら下る。登山靴の中も水びたしで歩くたびに鳴る。西の海岸沓形に下りると午後9時半。1軒だけ明かりの消えていない民宿に入る。レインコートは着ていても汗で濡れた下着を変え、夕食後、濡れたスケッチブックを繰り開き繰り開き、大きくなれないたくさんの名を知らない花たち(20種類あった)を見ながら眠りについた。花の名は帰宅後図鑑で調べた。
利尻山登山は、山の花の本(前出)の84~97ページまであり、大体どのページにも花は上部に、文章は下部にあります。

<1982年のこと>
長い日本列島北海道北端の海には直径約12kmの利尻島と細長い礼文島が並んでいる。九州の南の海にも直径約25kmの屋久島が、細長い種子島と並んでいる。屋久島は標高1930mの宮之浦岳のまわりに1500m以上の山がひしめいている。島の北側海岸の楠川から登り、南の海岸尾之間に下りる予定で登りはじめた。

リュックの中はシュラフ、4日分の食料・水筒・スケッチブック2冊・着替え・懐中電灯・予備電池・方位磁石・ナイフセット・救急医薬品などでいっぱい。さすが屋久島だ。明るくて雨が降る。1年365日に366日は雨だと聞いたことがある。胸までシダでおおわれた下に1人が通れるだけの水が流れている道がある。雨の音、洪水のような谷川の音、遠くからきこえてくるきれいな鳥の声で山は活気に満ちている。雨が激しくなるとギーンという金属的な連続音が谷川から湧き上り、上からは降ってくる。木の葉を打つ雨かと思ったが蝉の声だ。雨の音に比例する。樹林のふところに白谷山荘が見えてほっとした。濡れたものをストーブのそばに掛け、着変えて、夕食は持ってきたにぎりめし・肉のかんずめ・パック入り煮豆・魚のかんずめ・きゅうりに味噌をつけて食べる。山荘の夫婦としばらく話し、地図を広げて明日の予定をたててシュラフにもぐる。

<翌朝>
きのう濡れた衣類はほぼ乾いたのでそれに着替え、にぎりめし、パック入り煮豆、魚のかんずめ、きゅうりに味噌をつけて食べ、リュックを整え、少し休んで5時出発。縄文杉(じょうもんすぎ)を過ぎると登りは急になる。岩と木の根がからみあい、水が流れ、黒いヒルが何匹もうごめいている。よく見ると口が逆三角形で、細長い胴をくねらせ、岩をなめるようにう這っている。こんなのが木から首に落ちてきたら大変と急いでレインコートのズボンをはき、上着を着てフードをかぶる。ヒキガエルがのっそりと路をのぼっている。何度見ても好きになれるものではない。北大路魯山人がヒキガエルを食べて美味しかったと書いていたのを思い出した。あの人の陶器は好きだし、徹底した生き方も好きだが、ヒキガエルやサンショウウオを食べた話は、ぞっとする。あるいはそういう凄みが作品の中に透徹していて、魅力になっているのかも知れない。雨と霧で視界は利かず、谷川の音もいつしか聞こえなくなっていよいよ高くなった。胸まで埋まるササの密生をかき分けながらやっと大岩がいくつかある高点に着く。標柱に1935mと刻まれている。南から風が音たてて吹き上げ、霧が飛び、雨粒が顔に痛い。岩につかまるか、しゃがむかしないと立っていられない。風下の岩かげにリュックをおろし、きゅうりに味噌をつけてかじる。充分満足。

 午後3時を過ぎている。明るいうちに淀川小屋まで下らないと危ない(中略)吊(つ)り橋の向こうに淀川小屋が見えた。(後略)

 明けて3日目。午前7時出発。2時間あまり歩いた頃、急斜面の樹林を下りはじめると谷川のごう音がきこえてきた。鈴川だ。川のふちに立ってゆっくりと水を見た。岩から岩へと階段式に滝になって流れ落ちている。落ちつけ、落ちつけ。泳いで渡ろうか、それにはリュックがないほうがいい。先に向こう岸まで投げようか。川幅は4~5mか。あるいはこういう大自然の中では距離感が狂って意外と広いのかも知れない。リュックが向こう岸について、もし自分が流されたら証拠になるだろうと、一瞬頭をかすめる。リュックを両手にさげて大きく振ってみたが、とても向こう岸まで飛びそうにない。はじめから泳ぐのは、それだけ流される距離も多くなるのではないか。波立っているので深さはわからないが、歩けるところまで歩いて腹までくるようなら、足をすくわれて流されるだろうから、そのまえに泳ぎに切りかえよう。歩くためには重みがあるほうがいい・・・・しばらくあれこれと最も確実な方法と、最悪の場合の向こう岸にとりつくぎりぎりの場所とを考えた。そこから下は滝になっている。リュックを背負い、岩かわ静かに水中におりる。へそぐらいの深さ、ここはまだ流れがゆるやか、1歩1歩、川底をたしかめながら流れの速い中央部へと進む。急に足がとどかなくなったので後足でふん張って泳ぎにかかる。少し流されて向こう岸の岩角につかまって這い上った。岩に腰をかけ、急流を見返りながら、ああよかったと、気がつくと胸に両手を当てていた。靴をぬいで水を出し、靴下をぬいで絞る。シャツは着たままで袖や裾を絞る。リュックはほとんど水びたし。開けるとスケッチブックは濡れ、ビニール袋に入れてある下着は大丈夫だった。岩清水を飲んで一息つく。 

 見晴らしの利かない樹林の中に路は尚も続く。大きく山を越え、山腹を巻き、沢を横切り、谷にくだり、また高みに向かい、いつ尾之間におりられるのか(中略)ここからは川幅も広くなり流れもゆるやかになった鈴川に沿い、道傍の草が刈り取られていて歩きやすい。「畑で仕事をしている70才ぐらいの人が私を見つめて、どこから下りてきたのかと問う。川を渡ってきたと答えると、その人は私から目を離さないで何度も首を横に振りながら、よく無事でよかった。ときどき人が流れてくるのだら・・・・と。私は何も言えなかった」(注:「 」の部分は原稿には書きましたがショッキングなので出版社が省きました)

 尾之間の国民宿舎に電話をすると空室があったので行く。4時、部屋のベランダから真近に白い灯台が見え、波静かな太平洋が広がっている。濡れたものをベランダに干し、リュックの中身もすべて部屋に並べた。3日間とも水びたしの足のうらがふやけて痛い。一風呂あびてゆかたを着、ごろりとと横になる。(中略)半分まで濡れているスケッチブックを開くと10種類。晩は早くからよく眠り、翌朝、島を離れた。(翌日、長崎・宮崎などに死者300名を越える大雨があった。

【訂正お知らせ】
『版画文集・続・井上員男の山の花』の55ページ中段2行目の鯛の川と下段7行目の鯛ノ川は鈴川が正しいです。

<1983年冬>
『版画平家物語』の制作に入る。

<1985年>
室伏哲郎著『版画事典』1985年東京書籍発行。159ページと513ページに、東京に住んで間もない井上員男の記述があります。
 【519ページの記述です】
紙版は、材質感をもつ凸版として一種独特の自由な味があり、陰刻表現もできる。紙版による陰刻表現でオリジナリティのある創作をしているもののひとつに、元学校教育の作家・井上員男が、1968年頃から制作している凹版と平版の併用版画があげられる。これは、表面に樹脂加工をした原紙を下描き通りカッターで線を刻んだり、樹脂被膜をはがしたりしてエッチング用インキを塗り、布で拭いて色の濃淡やぼかしをつくり、和紙にエッチング・プレスで摺刷する方式。銅版画に似ているが、中間調のぼかしは拭きとりの技術により表現し、原版が紙のためインキがしみ込むので摺刷耐用部数は少ないが、東洋的水墨画の味が出せる紙版といわれる。

【513ページ】
<1>紙凹版(自刻自刷り)<2>紙凹版六〇二種<3>「阿波浄瑠璃人形I青葉の笛」(四曲屏風’81)「山の花ーオオヤマザクラ」(二曲屏風’83)<4><5>’57太平洋美術展東京都知事賞(油絵) ’58新槐樹社創立会員(やがて退会)’68紙版画に独自の技法を樹立 ’80 20年余の教職を辞し紙凹版に専心’82中国人民美術出版社の招待により北京中央美術学院で紙凹版原理指導【紙凹版画個展】’73徳島県郷土文化会館、三菱ショールーム ’74’76プラザ樹(金沢)’75’76’82現代画廊(銀座)’76画廊むらかみ(北九州)’77丸善画廊(名古屋)’77’79だなか画廊(丸亀)’79’89新宿小田急百貨店 ’81横浜高島屋、G芦屋メイト ’82菊川画廊(宇部)、’82’84銀座松屋、佐久市立近代美術館 <9>『版画吉野川』(牧野出版’73)版画文集『井上員男の山の花』(木耳社’82)『続井上員男の山の花』(木耳社’84)<13>「’88版画学家物語完成後、井上員男紙凹版画恵天成展を企画。」
●樹脂被覆原紙をカッターで線刻したり、樹脂被膜をはがしたりして粘性の油性インクを塗り、布で拭き取り色の濃淡やぽかしをつくり、エッチングプレスで摺り取るのが紙凹版。摺り部数は二〇部が限度で廃版となるが、原紙に扱い込まれるインクと拭き取りの技術が、金属凹版にはない水墨画の一品制作の味を出す。

<1988年>
パリの国連ユネスコ事務局と日本大使館主催の「日本週間展覧会」に、版画平家物語の中から富士川・一の谷の合戦・扇の的それぞれ六曲屏風、雪国から6点。アヤメ二曲屏風を招待出品。

<1995年>
版画平家物語完成。平家の全盛から合戦を経て沒落までを、六曲十二双一隻に。(ろっきょくじゅうにそういっせき=詞書六曲屏風13、版画六曲屏風12)全長76m。登場人物3,415人、名前を特定した人415人。牛馬450頭。鳥3,337羽。猿、犬、猫、こうもりなど。


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【美術館・新聞社・画廊・百貨店主催の個展。 1956年~2009年、128回、各開催順】
青梅市立美術館。

以下6会場は版画平家物語全長76mを含む大個展
鎌倉市中央公民館。東京セントラル絵画館。香川県文化会館。北陸中日新聞社(会場はポルテ金沢3階全フロア)
中津万象園・丸亀美術館。香川県立ミュージアム。

下記個展は友人、知人、拙作愛蔵者の紹介、又は主催者から直接に。

画廊主催の個展開催画廊数47(関東から北九州まで)。
その内、2回~5回開催画廊数24(現代画廊の3回を含む。東京都内と近県と香川県内に多い)
新宿小田急2回、松屋銀座3回、横浜高島屋4回、岡山高島屋、岡山天満屋、
井上百貨店(松本)、姫路ヤマトヤシキ(版画平家物語と日本の城)、
新宿京王プラザホテルロビー(版画平家物語)とロビーギャラリー。

<2001年>
株式会社タマ美術(社長 菅原澄様)から専属契約をいただく。以後の個展「版画平家物語の世界・井上員男展」宮崎山形屋、以下タイトルは同じ、静岡西武百貨店。2001年そごう秀作美術展ホテルオークラ本館平安の間。SOGO横浜。伊勢丹浦和7階アートホール。前橋スズラン8階美術ギャラリー。八王子そごう美術画廊。版画平家物語と日本の城、そごう千葉美術ギャラリー。

<2002年>
版画平家物語の世界、井上員男展 高崎スズラン美術工芸サロン。以下タイトル同じ、長岡大和アートサロン。新潟大和アートサロン・ギャラリー。版画日本の城 井上員男展 そごう川口店美術画廊。タイトル同じそごう大宮店美術画廊。井上員男 版画展、内容は扇の的、日本の城、阿波浄瑠璃人形、山の花。そごう広島、版画平家物語、日本の城、花の二曲屏風3点、そごう広島美術画廊サロン。

<2003年>
そごう八王子、花の二曲屏風3点ほかシリーズから選抜作品。社長様の御体調の関係で残念ながら契約終了。

版画は徹夜が多い。夜明けに鳥が鳴く頃眠り、昼ごろ起きる。

<1996年>
【版画日本の城】にとりかかる。

日本の城!それは石垣と水によってさらに美しく、草木が一層懐古(かいこ)の情を誘う。血を吸い炎に包まれた城もあれば、栄華を極めた城もある。名君と崇(あが)められた城主もいれば運命に翻弄(ほんろう)された姫の哀話も今に伝わる。戦国時代から江戸末まで300年の間、近世城郭は我国建造美の粋を集めて国々に君臨した。

 この、世界に誇り得る日本の城を自分の版画で表現したいと思ったのは、今から22年前。東京に住んで間もなくのこと、城の写真集を見てからであった。しかし現状風景では物足りない。天守閣だけしか残っていないとか、木が茂って見えにくいなど、絵心が動きにくかった。

 それより何より私には『平家物語』を版画にしたいとの大望、自分への試練を課して出てきたのであり、3年めから研究に取りかかり、次いで制作に入り、12年を要して『版画平家物語』六曲屏風十二双一隻(じゅうにそういっせき)すなわち版画六曲屏風が12場面。詞書(ことばがき)六曲屏風が13場面。

 再び『日本の城』が意識にのぼった。城の資料をと、神田の古書店をめぐるうちに『名城絵図集成~正保図(しょうほうず)及び近世の百十城』という珍しい本に出会った。かなり重い。布張りの立派なケースに入り、東日本之巻・西日本之巻と2冊に分かれ、これも布張り。開くと正保年間に作成された全国の城の絵図(約4メートル四方の着彩原図の縮小印刷)が大半を占めていた。背筋が寒くなり、手が震えた。詳しく見るにつれ、平面図には石垣の長さ何10尺、高さ何尺、堀の水深何尺などと記されてあり、建物は左右の側面がわかる角度の横から見た絵である。壁は白か黒か色で示し、海・川は紺色、道は茶色というふうに統一されている。2重にめぐらした堀に沿った石垣の要所要所には櫓が何10基も立っている城もあり、当時の華やかさが立体的に浮かんできた。城下町から武家屋敷を通り城門をくぐって天守閣に至る経路は朱線が引いてあり、4通りほどある。現在の観光地などのマップの元祖と言える。解説を読み進めると「三代将軍家光の時代、幕府が全国の城の軍事秘密を握るために各城主に命じて提出させた絵図」とある。各城から担当者を幕府に集めて説明会を開き、作成、提出させた。城郭部分は城下町や武家屋敷より大きく描いてある。朱線の意味は大きい。

 これだ!版画で江戸時代の城を再現しよう、それなら意義がある。その後何回か書店に通っては城の本を探した。『城郭古写真資料集成』『日本の城の基礎知識』『江戸大名百話』など数10冊になった。読むほどに幕府と城主、城主と城主、城主と民との複雑極まりない人間関係に心が痛む。これ以上深入りしないほうが良い。『日本の城』はやはり建造美だけでいこう。

(1)現状写生だけでなく正保城絵図などによって踏査し、櫓や堀、御殿などを描き加え、城郭を見渡すに邪魔な木などは整理する。なぜなら江戸時代には城からは領地が見下ろせなければならず、領地からは権力の象徴として仰ぎ見られなければならなかったから。
(2)山城・平山城・平城・水城の特色を出す。
(3)但し城によっては現状にとどめる。資料が少ないとか。

そして描きたい城は三十城ぐらいと一応の候補をあげた。

 ほとんどの城は必ず下見に行き、再度日程を組んで写生に出る。完成画面と同大のスケッチブックに、現場で克明に鉛筆描写をし、資料によって当時の建物を描き加える。冬に出かける。常緑樹は仕方がないが、葉のない木の間から城がよく見えるからである。城の近くに宿をとり、朝8時ごろから夕方まで続ける。大方城は高所にあり、吹き上げる風が冷たい。一つの城に3日から6日かかる。城はそれぞれ個性が強く、気持ちの転換が出来にくいから、1回の旅では2~3城が限度である。桜の満開を待って再訪し描き加える事もある。写真は撮らない。これまでに100日あまり出掛けている。

【版画にした城】
1 小田原城  (神奈川県)50×110cm 原版の大きさ、すなわち作品の大きさ。以下同じ
2 金沢城   (石川県) 50×110cm 
3 松本城・国宝(長野県) 50×110cm 
4 伊賀上野城 (三重県) 50×110cm 
5 姫路城・国宝(兵庫県) 50×110cm 
6 高松城   (香川県) 50×110cm 
7 松山城   (愛媛県) 50×110cm 
8 熊本城   (熊本県) 50×110cm 
9 唐津城   (佐賀県) 50×110cm 
10 越前大野城 (福井県) 50×97cm 
11 岡崎城   (愛知県) 50×97cm 
12 丸亀城   (香川県) 50×97cm 
13 宇和島城  (愛媛県) 50×97cm 
14 高知城   (高知県) 50×97cm 
15 犬山城   (岐阜県) 50×70cm   
16 岐阜城   (岐阜県) 50×70cm 
17 郡上八幡城 (岐阜県) 50×70cm 
18 広島城   (広島県) 50×70cm 
19 備中松山城 (岡山県) 72×50cm 
20 弘前城   (青森県) 54×51cm 
21 会津若松城 (福島県) 54×51cm 
22 松江城   (島根県) 54×51cm 

【原版が出来ている城】

岡城(大分県)182×50cm、大洲城(愛媛県)50×97cm

120615f

【主な収蔵先】題名の『  』省略

<香川県立ミュージアム> 香川県高松市玉藻町5-5 http://www.pref.kagawa.jp/kmuseum/

 版画平家物語六曲十二双一隻。日本の城20点。
 オオヤマザクラ、アヤメ、マルバハギ各二曲屏風。
 次の各シリーズから86点、四国の漁港、瀬戸内、さぬきの手仕事、阿波浄瑠璃人形。

<光が丘美術館> 東京都練馬区田柄5-27-25 URL:www.hikari-m-art.org/index2.htm

 版画平家物語六曲十二双一隻。日本の城20点。
 次の各シリーズから235点、吉野川、四国の漁港、瀬戸内、阿波浄瑠璃人形、雪国、水郷、山の花。
 
 
<宮城県美術館> 宮城県仙台市青葉区川内元支倉34-1 URL:www.pref.miyagi.jp/bijyutu/museum

 洲之内コレクションのうち・・・川之江(四国の漁港から網)。
 
 
<青梅市立美術館> 東京都青梅市滝ノ上町1346 URL:www.ome-tky.ed.jp/

 次の各シリーズから33点、四国の漁港、瀬戸内、阿波浄瑠璃人形、水郷、雪国。
 
 
<たましん歴史・美術館> 東京都国立市中1-9-5 URL:www.tamashin.or.jp/

 雪国から2点。
 
 
<松茂町歴史民俗資料館> 徳島県松茂町広島四番越11-1 URL:http://www.joruri.jp/

 中西仁智雄コレクションのうち阿波浄瑠璃人形3点。
 
 
<徳島県郷土文化会館> 徳島市藍場町2-14

 阿波浄瑠璃人形から絵本太功記六曲屏風。初菊。
 
 
<徳島県立阿波十郎兵衛屋敷> 徳島市川内町宮島本浦184

 阿波浄瑠璃人形から傾城阿波の鳴門四曲屏風。 URL:http://joruri.info/jurobe/
 
 
<香川近代美術館> 香川県三豊市三野町下高瀬542-1 URL:http://www.kagawa-kinbi.jp/

 版画平家物語のうちの扇の的。阿波浄瑠璃人形から2点。
 
 
<Sun-mi(サンミ) 高松本店> 東京都中央区銀座6-3-9 URL:www.takamatsu-inc.co.jp/

 版画平家物語のうちの扇の的。高松城。
 
 
<サンビナス立川> 東京都立川市富士見町1-33-3 URL:http://www1.ocn.ne.jp/suv/ 
 阿波浄瑠璃人形から傾城阿波の鳴門四曲屏風。
 
 
<個人収蔵者>多数。

おろす吊(つ)り橋
次の各新聞の週1回の読書欄に、作品(原画は42×35cm)写真入りで掲載されました。新聞はたて書き。(当時の新聞の字はおどろくほど小さかった。)
 
 
  <4月16日>
   毎日新聞―作品は「吉野川橋」2段分使用。「版画 吉野川」井上員男著。
   「消えゆく遺産」として本文は3段分使用。

  <4月22日>
   日本経済新聞―作品は「鮎舟」3段分使用。「日本の河川の風物誌」井上員男著。

       牧野出版社、所在地記入、五.〇〇〇円。長い1段。

<1974年>

四国の漁港―

<個人収蔵者>多数。

INFORMATION

版画 平家物語 井上 員男展

更新日:

2014年1月11日 〜 2014年1月14日

5851

紙凹版(カミオウハン)濃淡表現発明

更新日:

井上員男 作品展覧インフォメーション

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作品名 弘前城 13/24
サイズ 54.5cm×51.5cm(縦長)
画 材 手漉和紙(越前和紙・上質・白色)、エッチング・インキ(※プロフィールの「紙凹版」とはをご覧下さい)、版画
完成年 1996年
価 格 版画250,000円、特製額縁40,000円(版画だけでもよい)
解 説 弘前城の桜まつりはよく知られているが、新雪の城を描きたかった。
1995年12月17日夜、新雪の知らせうれしく翌日現地へ。21日まで、版画と同大のスケッチ・ブックに鉛筆で描く。
作品名 裏剣 13/19
サイズ 46.3cm×104.0cm(横長)
画 材 手漉和紙(越前和紙・上質・白色)、エッチング・インキ(※プロフィールの「紙凹版」とはをご覧下さい)、版画
完成年 1995年
価 格 版画250,000円、特製額縁60,000円(版画だけでもよい)
解 説 裏剣とは、北アルプスの主峰剣岳(標高1998m)を、立山の反対側から見た呼び名。名著『日本百名山』の著者、深田久弥氏が、仙人池に映った山容を含めて、日本山岳風景の秀逸と絶賛。
1994年7月21日から山小屋に4泊、仙人池から池の平へ行く中間で、版画と同大のスケッチ・ブックに鉛筆で書く。
作品名 イカリソウ 28/31 短詞付
サイズ 34.0cm×35.0cm(マットの刃先寸法、横長)
画 材 手漉和紙(越前和紙・上質・白色)、エッチング・インキ(※プロフィールの「紙凹版」とはをご覧下さい)、版画
完成年 1998年
価 格 版画80,000円、特製額縁40,000円(版画だけでもよい)
解 説 新潟県津南町、雪解けを待って咲く花、現地でスケッチ・ブックに鉛筆で描く。
作品名 シュンラン 24/28
サイズ 18.5cm×18.5cm(正方形)
画 材 手漉和紙(越前和紙・特厚・淡い卵色)、エッチング・インキ(※プロフィールの「紙凹版」とはをご覧下さい)、版画
完成年 2005年
価 格 版画40,000円、細い額縁5,000円(版画だけでもよい)
解 説 東京都あきる野市五日市の山間で描く。
作品名 雪国28(駅2) 16/19
サイズ 30.0cm×45.0cm(横長)
画 材 手漉和紙(越前和紙・上質・白色)、エッチング・インキ(※プロフィールの「紙凹版」とはをご覧下さい)、版画
完成年 2003年
価 格 版画130,000円、特製額縁38,000円(版画だけでもよい)
解 説 JR長野駅から越後川口駅まで100kmの飯山線。半分は信濃川に沿って1?3両のジーゼルカーが区間運転で連絡している。雪の季節にはラッセル車が行き来する。この鉄道のファンが多い。2003年1月13・14・15日、現地で描く。