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Talk-30 DESSINER考

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Yoko 26NOV1986 6F pencil on paper
 
 
DESSINER【desine】仏の語、(線で)画く、デッサン(スケッチ)する・・・・・・西の文化が
この描画行為に負わせてきた再現的観念性の原罪も現在即仏果と見付けたればその神業が絵画表現
の芸術的蘇生を極東より閻浮提に問い返す。
 
Tableau is now coming back to life again with our miracle of arore-spirituelle.
 
スピーカーから流れて来る音の平均律は、クラシックから邦楽、ジャズから演歌に至るまで、これすべて似非バッハのコピーに過ぎず、優れて芸能音楽足り得る事はあっても、決してこれを音楽芸術であるとは言わない。絵画では今日の洋画日本画的絵画世界がこれに対応している。(しかし我々はこうした絵描きたちの仕事をこれ以上責めてはならない。今はもうそのような時代ではないのです。・・・・・・非絵画的に創造的足りえた<現代美術>も時を失った今、デザイナー気質の<アーチスト>たちによって生活美術のレベルに概念化が進み<コンテンポラリーアート>としてその芸術性は急速に失われつつある。それはそれで良いのだが、己の分を弁えない今日的芸術バカの類が不遜にも前衛や創造の精神をもてあそび、理解及ばねばいたずらに古典を批判した挙句、ついには奇跡も知らずして宗教・芸術を語りきることができると思い込む。如何に「原罪即仏果」とはいえ許しがたいこの非道。その僭越にして傲慢な霊性こそ、今日厳しく糾弾されるべきなのだ。―1990年加筆挿入) かかる芸術的非芸術世界にあっては、単に作品の一属性に過ぎない音楽の曲想時間性、絵画の画相空間性のみが、現代通俗世界の煩悩とも言うべき観念にもてあそばれているだけの事である。音楽はむしろ空間の、絵画は時間の芸術であると言うべきで、共にその作品は決して観念のコピーなどではなく、従って再現もあり得ない。なぜなら表現の芸術性は常に身体を伴って、一回的に立ち会った場の気に即応すべき聖にして妙なる技術性そのものにあるからだ。かといって表現それ自体に向き合ってつくられる作品が芸術的に高揚され行く事はなく、そのために必要となる曲想や画想の持つ再現的観念性は、しかし一つの方便としてのみ、軽やかに、透明に機能すべきものであるだろう。すなわち一方では方便を方便として見抜くだけの霊性が人に要求されている。が、もとより日本の古典文化は、おそらくこうした精神風土のもとで培われていたに違いないのだ。太子は言う「世間虚仮唯仏是真」-と。(1990年)
 
 
 
Annotation 注釈  Draft
 
■これがトークの至る所で言及しているDESSINER考です。1990年の個展DESSINER考で発表しました。今振り返るとやや高圧に過ぎると思われる表現も見られますが、当時はこうならざるを得ない状況が確かにありました。
 
■This is DESSINER考 which I frequently mention in the Talks.

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